
Viewing Room
壽三郎ノ罷リ路
後藤靖香
2025.9.20 Sat - 2025.10.18 Sat
このたび、TEZUKAYAMA GALLERY-VIEWING ROOMでは9月20日より後藤靖香の個展「壽三郎ノ罷リ路(じゅさぶろうのまかりぢ)」を開催いたします。
後藤靖香は、自身の祖父や大叔父の戦争体験をはじめ、歴史の中に埋没した個人史や土地に刻まれた記憶を丹念に掘り起こし、大画面に劇画調の筆致で描き出す表現で知られています。壁を覆うほどのスケールに大胆な構図で展開されるその作品は、迫力ある筆跡と圧倒的な存在感によって、鑑賞者の記憶に深く刻まれます。
近年は日本の伝統芸能である人形浄瑠璃・文楽を題材に取り組み、表現の幅をさらに広げています。2023年の「中之島文楽2023-人形浄瑠璃 文楽×講談×現代美術プロジェクションマッピング」では、青を基調とした舞台美術の原画を手掛け、プロジェクション・マッピングの素材として作品提供したほか、緞帳を飾る巨大なドローイングを発表しました。その調査の過程で後藤は、戦時下の文楽公演において「肉弾三勇士」や「九軍神」といった題材が上演され、戦意高揚や戦争美談というプロパガンダというかたちで国策に協力していたという歴史的事実に行き当たります。かねてより戦争の記憶を取材し作品化してきた後藤にとって、この発見は思いがけない接点となり、その後に制作された作品《堂々巡り》として結実しました。同作品では、真珠湾攻撃で戦死した九軍神の一人である上田定が象徴的に描かれ、2024年のART OSAKA Expanded Sectionにて発表されました。
約5年ぶりとなるTEZUKAYAMA GALLERYでの個展では、原爆投下時に爆心地で命を落とした作家の親族である後藤壽三郎を起点に作品が展開されます。これまで自身の祖父や大叔父の戦争体験や当時を生き抜いた人々の記憶を描いてきた後藤ですが、初めて「原爆・ヒロシマ」という題材に個人的な繋がりを通じて対峙します。奇しくも、本展が開催される今年は終戦から80年の節目を迎えました。直接の戦争体験者が少なくりつつある今、消えゆく声や記憶を想像しながら、〈語り得ぬもの〉をどのようにかたちで残し、未来へと引き継ぐことができるのか__壽三郎の生をめぐる物語を通じて、その静かな問いかけに向き合う時間となれば幸いです。是非、ご高覧下さいませ。
[アーティスト・ステイトメント]
私には後藤壽三郎という爆心地で亡くなった親族がいる。
一般的に広島の爆心地は原爆ドームと認知されているが、本当の爆心地は島病院であり、壽三郎はその島病院の真向かいにあった広島郵便局で働いていた。
本来なら定年退職している年齢だが、戦時下ゆえ数少ない男性職員として働き続けていたのだろう。
1945年8月6日の原爆投下の際もその郵便局で勤務しており他の職員、動員された学徒たちと共に原爆の直撃を受け亡くなっている。
壽三郎の遺体は判別できず、住まいも爆心から1.3キロにあり、遺品や写真も全て焼けて何も残らなかった。
唯一残っているとすれば彼が退職後に余生を過ごすはずだった後藤本家の家屋だけだろう。
その本家も高速道路の整備の際に解体され、今は私が住んでいる分家の家屋の部材として再利用されるに至った。
「私は壽三郎の帰るべき場所を奪ってしまったのかもしれない」
そんな妄想が頭を過ぎる。
これまで私は特攻兵だった祖父や戦中の逸話などをモチーフに戦争画を描いてきた。
戦後の日本において加害者の物語はある種のタブーになったと言えるだろう。
戦争画は戦争を美化し賛美していると咎められかねない。
だが私は敢えて描いてきた。
戦後、被害者の物語は手厚く語られてきたが、加害者の側にもまだ語り得ぬ物語があると感じているからだ。
私の絵はそんな『語り得ぬ加害者の物語』なのだ。
だが、今思えばそれは自分自身も加害者かもしれないという不安からだったのかもしれない。
そして壽三郎に関して調べる中で自分が住む家が壽三郎の家だったと知り、不安は現実味を増した。
だからきっと私は、私自身の物語も描かねばならないだろう。
本作のタイトルにある「罷り路」とは家へ帰る道、あるいは死者の行く道、冥土への道といった意味合いの言葉だ。
亡くなった壽三郎が帰るべき場所で、いま私は生きている。
ゆえに本作は後藤壽三郎の物語であり、私、後藤靖香の物語でもある。
後藤靖香