I, Pencil わたしは、鉛筆

I, Pencil わたしは、鉛筆

長谷川学

2024.3.22 Fri - 2024.4.20 Sat

このたび、TEZUKAYAMA GALLERYは3月22日(金)から4月20日(土)の期間、長谷川学の個展「I, Pencil わたしは、鉛筆」を開催いたします。
長谷川学(はせがわ・まなぶ)は1973年東京都に生まれ、2000年に多摩美術大学美術学部絵画科版画専攻を卒業。現在も東京都を拠点に制作活動を続けています。凹凸のある対象物の上に紙をのせ、表面を鉛筆で擦る事で輪郭を写し取る技法「フロッタージュ」を応用した平面と立体の両義性を持ち合わせた作品を制作しています。
 
長谷川は幼少期の頃に上野の高架下で傷痍軍人に遭遇した体験から「なぜ悲惨な戦争をしたのか」と物心がつく頃から疑問を抱くようになります。過去にあった大戦の歴史、今も遠く離れた国で続く戦争は、幼い頃の長谷川にとって漠然とした死に対する恐怖感と確かな現実味を帯びたものに映り、決して黙殺できない対象として脳裏に強く焼き付いたのでしょう。
 
現在のフロッタージュによる制作は長谷川が大学在籍時に課題で取り組んだ事に端を発します。
紙と鉛筆という素材が持つある種の懐かしさ、書いては消すという行為が端的に行える安心感、鉛筆から伝わってくる振動と心地よい書き味から緩やかに過去の記憶と繋がり出すなどの理由から、長谷川にとって重要な素材と技法となっていきます。
過去には500体の髑髏、1000体のキリスト像を反復してつくる修練とも取れる制作にも臨みました。その経験から長谷川の作品は単なるオリジナルの複製という視覚言語だけ留まらず、次第に目には映らない「真実」の輪郭を追求するための表現へと向かっていきます。
当初は銃が持つ硬質で冷たい質感と鉛筆の鉛色に親和性を見い出せた事で現在の作風へと変化していったと長谷川は語りますが、死をもたらす象徴ともいえる武器や兵器を作品の主題として扱うことは無意識ではあれ、幼少期から抱いてきた戦争に対する疑問と根源的な死に対する恐怖心という着地点を見い出せない潜在的な問題に改めて立ち返り、対峙するという点において、ある種の必然性があったのかも知れません。
 
約9年ぶりとなる今展では、過去から現在まで世界各国の軍で正式に採用されている銃・手榴弾・ナイフ・刀・銃弾をモチーフとした新品のほか、平安時代末期が起源とされている印仏から着想を得たドローイング作品を発表します。
今展のタイトルとなっている「I, Pencil わたしは、鉛筆」はレナード・E・リード(1898-1983)のエッセイの題名「I, Pencil」からの引用となります。本書の原文(擬人法による文章表現で、鉛筆の目線を通した語り口調で構成させている。)の中で、1本の鉛筆が製造される背景にある驚くほど多くの人々の「無意識な繋がりの渦」の存在について、高次の視点を交えながら触れられています。
 
従来の生活様式や価値観を揺るがすほどの世界的なパンデミックを経て、ポストコロナの時代を迎えたと同時にロシアによる軍事侵攻が始まり、その後のパレスチナ問題の再発など、未だに不安定な国際情勢は収束の兆しを見せません。様々な問題が顕在化する現代においても無意識(あるいは無自覚)の渦の中に身を置きながら、抗え無い大きな流れに絡め取られていく人間の姿を想像し、長谷川は祈るように鉛筆を走らせます。

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[アーティスト・ステートメント]

削るたびにする木と黒鉛の香り。

指先に感じる滑らかな塗装。

軸をかじるとする苦み。

紙とこすれる音と伝わる振動。

引かれた線の鈍い色。

消しゴムで消せる安心感。

徐々に小さくなってゆく姿。

鉛筆はこころとつながっている。

長谷川学